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最近、ドラえもんにハマっているという話

宇宙小戦争のエンディングより

 去年の春から、何年もしまいっぱなしだったドラえもんの漫画がまとめて入っているダンボールをすぐ手に取れるところに出して、今に至るまでぼちぼち読み続けている。手持ちのアニメ・映画のDVDも取り出して観た。さらに先月はアマプラで映画を全部観た(初見だったものも多い)。漫画は50年以上昔から読み継がれているものもあり、アニメ・映画がずっと続いていることから、あらゆる世代の人々に通じる素晴らしい作品であることは言うまでもない。大人になるに連れてネガティブ思考が増えて、あらゆるものに全力・真面目に取り組めるような状態ではなくなってしまったけど、ドラえもんは心の底から面白い。むしろ、幼い頃のほうが本気でドラえもんの世界を楽しめていなかったかもしれない。

 ドラえもんの話にはいつもひみつ道具が登場する。(倫理的・法律的も含めて)実際の現代では実現し得ないものばかりだが、ドラえもん世界では何もおかしくないかのように普通に使われて話が進んでいく。それによって引き起こされるイベントは非現実でありながらどこか親近感があり、日常・SFを超えて世界が多種多様に広がっていくストーリーは無限の楽しみを与えてくれる。幼い頃はこれよりも楽しいことがたくさんあって、ドラえもんの魅力が霞んで見えていたのかもしれない。昔繰り返し読んでいた・観ていたものも、大人になって改めて繰り返してみると、昔は気付けなかった新たな発見をすることが多い。

 ここからはアマプラで見た映画で特に印象に残ったものの感想を書こうと思う。(極力ネタバレがないようにする)

🔴=アマプラが初見 🔵=以前に見たことがある

恐竜(1980年)🔴

 自分が生まれた年からずっと昔のアニメ。エンディングは「ポケットの中に」とともに様々なひみつ道具ドラえもんが右から左へスクロールする映像なのだが、ひみつ道具の見た目が自分が知っている形と全く同じで、時代が変わってもドラえもんはずっと変わらないままということを実感した。

ブリキの迷宮(1993年)🔵

 手持ちのDVDで一番多く見ていたかもしれない。決して終盤のためだけではない

 力を失いロボットに抵抗できなくなったチャモチャ星の人々と、ドラえもん不在の中自分たちの力だけで大きなトラブルを解決しようと奮闘するのび太たちのコントラストが、それぞれの状況やのび太たち及びサピオの努力を一層引き立てている。

ワンニャン時空伝(2004年)🔵

 ダク役がこの翌年からスネ夫役になる関智一であることは前見ていたときは気にしていなかった。たしかに同じ声。スネ夫スネ夫が話してるみたい。あと阿笠博士がいた。大山ドラ有終の美を飾る映画として有名だが、もし大山ドラが続いていたとしたら、同声優陣のままでの恐竜リメイクはあったのだろうか。今やAIが声の生成をできる時代だから、ボイスドラマとしてなら今ならできそう。

新鉄人兵団(2011年)🔵

 バーベキューのシーンで、ピッポがその場を離れて、明日には兵団が攻めてくるのにどうしてあんなに呑気でいられるんだ…と不思議に思うところがある。ここにドラえもんの面白さがあると思う。短編でも長編でも、シリアスなストーリー展開になってもドラえもんたちのどこか間の抜けた感じ、享楽的な雰囲気を崩さないところが、ギャグ漫画としてのドラえもんの体裁をずっと保っていられる所以だろう。

南極カチコチ大冒険(2017年)🔵

 前回見た記憶はほぼなかったので実質初見。ドラえもんでは異なる時間を行き来することはごく普通の出来事だが、これを活用した見事な伏線回収に心を惹かれた。今の自分にも夢中になれることがあると分かってほっとした気分。

宇宙小戦争2021(2022年)🔴

 大山ドラ版(大長編は未読)よりもパピの葛藤やドラえもんたちとのすれ違いがさらに細かく描かれている。また、大山ドラ版ではスネ夫が静香を「女の子」と認識していたところが「君」に言い換えられているなど時代に合わせた配慮もある(2014年・新大魔境にも引き継がれていたジャイアン&ペコ「それでも男か!」静香「女です!」は今はもう言えないだろう…)。前作「新恐竜」と同じく、ドラえもんが単なる子ども向けでは終わらない作品であることを強調する一作だと思う。