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今日聞いた音楽🔽

ちょろっと調べてみただけだが、ポケモン×VOCALOID(オリジナル曲に限らず、カバーやアレンジ、手描き、MMDなども)の制作者は意外と多い。大っぴらにニコニコなどに投稿したら生㌔Pのパクリだ、おかえりポリゴンの模倣だなどと言われそうで怖かったが、その心配ばかりをする必要はなさそうだ。今更だけどマッシブクラッシャーをニコニコに投稿してもいいかもしれない。

去年からDSからの歴代ポケモンシリーズを一通りクリアしていく挑戦をしているが、その理由はそれぞれをやりこんでいないと理解が難しい仕様や言葉を身に着け、他者の作品への理解を深めたり自分のインスピレーションの引き出しに入れるため。戦闘能力があればバトル施設の制覇もしたかったのだが、延々と同じことだけをやり続けるというのは性に合わず、リーリエみたく自分のポケモンが傷つくのが怖い。何より異常なレベルの負けず嫌いで、一度でも負ければ全てリセットされる記録もそれにより自分のポケモンへの熱意が冷めるのも絶対に避けたい。避けなければならない。

今日は「他者の作品への理解を深める」ことが一つ成功したことを実感した。上の曲で「不屈の心」とか「鋼鉄の島で孵る魂」みたいな歌詞があり、ふくつのこころなら後作品にも引き継がれる特性だが、後者はこうてつじまでゲンからリオルのタマゴをもらうことを知らないと書けない歌詞だ。僕はこれを去年夏にシャイニングパールをやったときに把握した。DPt,BDSPをミオシティに行けるようになるまでやって初めてこの歌詞の意味が理解できる。制作者が曲にこめた感情をおおよそ受け取ることができたという達成感があるし、もっとシリーズをやりこんでより多くのゲームネタを理解できるようにしたいと思える。

1つ目のpixivアカウントを消して3年くらい経つ。多分それから自分の探究心というか、他者への信用というものがだんだんと失われている。巷を騒がせる流動的な流行りや言葉に乗せられて一喜一憂するのが、自分が一般化してしまうかもしれないのが癪に障る。自分が信用しているのは1つ目のpixivアカウントを消す前に知った人物やサイトに限られる。あるに越したことはないが必要のないものは徐々に切り捨てていき、僕は人との適合箇所を少なくしていく。何としてでも守りたいものだけを大事にすることしか僕にはできない。現実社会には不適合でも、趣味に対しての集中ならまだできるから、それで(主に音楽で)生計を立てることを本気で将来像にする「探究心」を発動するべきかもしれない。