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この世界はポジティブ思考の結晶でできている

家具とか、便利グッズとか、売上業績、創作物、テレビ番組(バラエティ、CM、アニメ…)人間が作り出したものはだいたい前向きな成果、もしくはネガティブ思考をうまく組み替えてポジティブに仕立て上げたものばかり

人の満面の笑みを見ると不快感を感じる

いや、たしかに人が嬉しいのを見ると僕も嬉しくはなるが、不快を全否定するような同調圧力に対しての違和感といった感じ

人間は誰もがネガティブな部分を持ち合わせているはずなのだが、それを軽率に受けのネタにするような風潮を批判したい

だからニュース番組で何とか問題とか、犯罪とか、そういうのを連続して報道しているのを聞いていると安心する

無理に良いところだけを見せようとしている人を見るのはいたたまれないし、実際本当にネガティブ0人間かもしれない疑いもあり、気持ち悪い 自分は絶対に不可能だから許せない

ネガティブな性格を見せることはこの世ではタブーであり、見せたら人は離れる フォロワーが減る 批判の対象になる

すべて許されるのはその人すべてを好きになれる人だけだと思う

自分のネガティブの管理ができて初めて人のネガティブへの配慮ができるものであり、自分の散らかった雑音を整理できない状態では人の雑音を正常に戻すことはできない、気を向けようとしても失敗する、気を向ける余裕がない、僕がまさにそう

趣味というのは自身のポジティブネガティブを平衡させるための手段でしかなく、本当は興味がない

🐈‍⬛

他人のための行動:仕事、家族友達への手伝い、他、やりたくないこと全般

完全自由だとネガティブに寄る場合、他人のための行動が必要だと思う

言われたことに従うことに頭を使う時間を増やすことで、循環思考を一時的に止めることができる これのほうが自由より楽ならワーカホリックでもいいかもしれない(体を壊さない程度に)

人を疑う目が強くなっていき、自分の意見を守るための最終手段として犯罪があるのだと思う(よく言われている誹謗中傷とはちがう)

誹謗中傷は中身のない批判 大した意味もなく周囲の批判を正しいと信じ込み自分も批判することで衆生の仲間入りをしようとする最も意味のない行為 無表情で人を殺している

僕は簡単に人の意見に流されるのが嫌だから、常に全員を疑うようにしているし信じない、見ない、聞かない、その結果がこれだよ

自分が同族の中で一番苦しんでいるはずだ 他の人の努力の度合い、苦労の程度や過程が分からない、語られても信じてないから自分の生き方の参考にならない

僕よりも楽に幸福を得ていたら死んでも恨む

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自尊心を捨てきれないほど自尊心を持たないように見える 逆に自尊心を捨てた人は自尊心を持つかのように独自の自我を発達させるし様々な意味で都合のいい人間に映る

自尊心がない人にしか認知行動療法は通用しないと思う

怒りという感情は個人的に解釈すると、自尊心を守るための自衛

自分に対して都合の悪いことが起こる→自分はその状況に陥ることはないという絶対的な自信を崩される→崩れまいと必死に取り持とうとする=怒る

これが人に通じなかったら僕の思考回路が異常であることが証明されるかもしれない(自分の感情制御は何かがおかしいと思っている)

欲求が怒りを増大させている節がある

分かりやすく言うとコールド負けに対して審判に永遠に文句を言っているような状態

ポケモンは本当に悪いゲームだと思う

あまりにも勝負がハッキリしすぎている 負けた側にはマイナスしかもたらさない

やり方がどうであれ勝ったほうが絶対正義というルールを定着させた悪の根源

失敗や負けとは自尊心を傷つけるもの なければ傷自体つかないがあれば残る

それが様々な負の感情に繋がっていく

自傷の理由…・自分が犯した罪への罰・極度のストレスを発散する手段・心の傷を体に表すため・自分は他の一般人とは違うことを示すため

自分はこの傷を負うだけの価値があるんだぞ、という優越感というか達成感というか、自傷することを特殊なステータスとして認識しているような気がする

死ぬ勇気がないけど、死に近づく気持ちを再現したい願望もあるかもしれない

というか、死んでも救われない

自分は死後の世界の存在を信じているが、それがどのような場所なのか生きてるうちは絶対に分からない もしかしたら現世のほうがマシかも

記憶がリセットされないなら、生まれ変わるまで生きていたときよりも後悔するね

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話している人によって意見の善悪が変わるのが不思議

好きな人の言うことは従う気になるが、嫌いな人の言うことは真っ向から反対してしまうのは全人類の共通点だと思う

僕は基本的に人間不信なので、名無しの書くことは他人事にも自分事のようにも聞こえて自分だけが勝手に無意識に否定されているようで怖い

人間不信が祟って誰の話も信じないから、検索とか調べ物とかをめったにしない 自分の理想の世界を守るために独自の思想を巡らせ続ける(自己愛性パーソナリティ障害の1つの特徴)

自分は正常な人間ではないが、かといって異常と一括りにされる状態まではいっていないと思う 中途半端な状態を改善させる術はないけど悪化させる術なら今すぐ実行できる 多分悪化させるべきという独断だがこれは死ぬのとほぼ同等のことなのでいつまで経っても(多分7年間ずっと躊躇っている)行動できない

自分が粗捜しをしたくなる人とは関わらないほうが良い

常に絶望を感じているからこそ、絶望を軽率に好む人がありえない

周囲に異常と思われないように平常を装うことが得意 自分自身を押さえつけている 自分も自分が異常であると思いたくないから平常な思想に留めようとしている 制御を解放したら自分の特別性を認めてくれる人が現れる かもしれない

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みんな結果だけを気にしている

過程に興味がなくなって、物語を組み立てるのをやめた

自分の考えなんかより他にもっといい物語がいっぱいあるから、みんなそれを糧にして生きてください